YouTube: 総務省「内容は検討しますが予算は4000億円です」→安野「戦略目的が決まってないのに4000億?」
冒頭の動画を見た感想・批評として書くが、元より私は昔から、「目的」とか「義務」といった概念を既定のものとして扱うことに抵抗があり、目的のある財源という概念自体が、近代西洋文化から拝借した広義のObjective思考を旧来の日本の組織運営、特に意思決定プロセスに強引に組み込んだものと考えている。
実際日本は西洋近代の合理的な思想を、それが形成された歴史的文脈を捨象して「つまみ食い」的に受容する傾向があり、結果として異質な思想が本当に交わらずに併存する「精神的雑居」の状態で組織に持ち込まれているとの指摘は昔からある (c.f., 丸山眞男の『日本の思想』)。
「全ての公的活動には目的があるべき」という主張は、私も基本的に同意するが、無批判に当然と思うものでは無いし、これは論証できないが、私を含む多くの人々は、恐らくビジネス等別の文脈で「目的が先にある思考形態」の優位性を無自覚に援用しているのだと思っている。
さてここでの組織は、上下関係が明確で、凡そ王政もしくは君主制に近く、君主と庶民の区別が明確にある。この切り口での組織・コミュニティ運営に関する研究は昔からある。例えば文化人類学者・中根千枝の「タテ社会」の研究では、日本人が職能や能力(資格)ではなく会社や共同体(場)を最優先して集団を形成するため、同一集団内で精緻な序列や「タテ」の組織が必然的に形成されることが示されている 。Karel van Wolferenの日本権力構造の研究では、日本には結果に対して最終的に責任を負う主体(意思決定の頂点)が欠けており、人脈や金脈で複雑に絡み合った非公式な「システム」そのものが不定形な権力として君臨している実態が暴かれている 。
NHKは自身を(また、というべきか)総務省傘下の君主側と誤解した点に民意を得られず、浄化したというのが現実的なところだと評価している。実際にNHKのガバナンスは、法令上の厳格な義務ではなく協会の任意規定に留まる部分が多く、システムとしての脆弱性が指摘されてきた 。また、日本語の「公共」という概念には常に国家の影や「お上意識」が付きまとうため 、メディア側も権力を牽制する本来の役割を果たしにくく 、放送法における政治的公平性の審査などを通じた総務省の潜在的な支配力と、それに対する無意識の同調(あるいは反発)という構図に陥りやすい 。
逆にいえば、国民は暗に、もしくは納得していなくとも、仕方ないと思って何もしないでいるくらいにはこの君主制そのものの在り方を認めている。この諦念の背景には、日本における極めて低い政治的有効性感覚1がある 。日本の若者の有効性感覚は国際的に見ても突出して最下位水準にあり、「社会に役立ちたい」という高い意欲がありながら「社会は変えられない」という見通しの欠如が学習性無力感を惹起し、政治への働きかけを自ら断念して現状を受け入れる土壌を作っている 。上流国民・特権階級とかいう言葉も、君主側を揶揄しているようで何も力を持たない、ただのミームとして消費されている。
この前提で、与党側、又は君主側がのらりくらり言うのは当然で、極力色のつかない固定財源を確保することで、必ず必要となる経費以外の部分で関係各所に恩を売っておきたい、影響力を持たせておきたい、自身のやりたい活動費に充てたい、身近な人間を潤わせたい等の目論見が(当然!)ある。個人に当てはめれば当たり前の感覚である。政治学における「族議員」や鉄の三角形(行政・政治・業界の癒着)の先行研究が示すように、特定の利益集団は族議員に集票や献金を行い、族議員はその見返りに有利な補助金を推進する 。あらゆる予算や財源がこうした既得権益の維持に紐付けられているため、合理的な歳出の組み換えや行政改革を阻害する無責任のシステムが作動することは宿命的である。
それは正当化されない(されるべきではない)が、それ(人類の限界)を前提としたシステムを構築すべきという前向きな解釈の元で、むしろ彼らが非難されるのは、この財源確保プロセスのあり方が、厳格な民主主義に沿わない明らかな公私混同の様相を呈しているからである(これは安野議員が本質的に指摘している事だと思うが)。一方で民主主義と君主制が実質的に混在している実態はあまり言及されない。これもWolferenが指摘したように、日本の戦後民主主義は見かけ上は憲法や法の支配に服しているが、内実は普遍的な法や論理ではなくその時々の”空気”に合わせた適応主義や、責任主体のないシステムが駆動しているという二重の虚構を反映している。
君主制2を封じ込めるには、一つの(そして明らかな)方向として、意思決定プロセスを設計する方法がある。その前提には議論の可視化、介入、集約等を可能にするDX化があるが、ようやく使えるレベルになってくる兆しが見えたのは20年代に入ってからである。事実、デジタルを活用して市民に”地域”をつくり出す力を付与する試みや 、デジタル合意形成プラットフォーム「デシディム(Decidim)」を用いたボトムアップの意見集約(兵庫県加古川市が2020年に日本初導入)、東京都の「市民提案予算」のような実践が2020年代に入ってから本格的に広がり始めており、従来の組織運営の壁を壊す新しい意思決定プロセスの実装がようやく始まっている 。