さかなのこ

先日 (恐らくその映画館では上映最終週と思われる) 見に行ってきたので、感想というか、考えたことを書いてみよう。

『さかなのこ』とは、2022年9月1日初公開の、さかなクンの半生を描いたのん主演 (よってのんさかなクンを演じる) の邦画。恐らくジャンルとしてはヒューマン・コメディ。

前情報ほぼ無しで見に行ったので、実は原著[1]「さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~」がある事を知ったのもエンドロールを見た後だった。

今回個人的に着目した以下3つの要点に沿って書いていこうと思うけれども、俳優名と役名が混然とするので俳優名を斜体で表し、役名をインラインコードで表すことにする (例: 「さかなクン演じるさかなクン」)。

  1. のん=さかなクン?
  2. 演出としての理想の世界
  3. 理想と現実

1.のん=さかなクン?

冒頭に書いた「のんさかなクンを演じている」という前提は、前説や状況からして確からしいと思われるが、文字通り鵜呑みにするには不自然な所が幾つも見られた。次に挙げるのはその内のほんの一部である:

  • 冒頭の方で脈略は分からなかったが「男とか女なんて関係ない」というテロップが流れるシーンがあった。
  • さかなクンは (確か) 男性なので、この映画を自叙伝の映画版と考えるのならば男性俳優か本人が演じるのが通例であると思われる。
  • みーぼう[2]のん演じるさかなクン (の幼少期) という設定で、この時映画内では小学生の少女.魚おじさん[3]さかなクン演じるさかなクン.の家に遊びに行きたいと言った時、みーぼうの父親は「悪戯されたらどうするんだ?」と言ってる。素直に捉えると、このシーンはみーぼうを女子として扱っていると解釈できる。
  • 中高生の時みーぼうは学ランを着ているが、母を含む周囲の反応からは明確に男性とも女性とも描かれていない。

これらの事は映画を精査してみないと本当の所は分からない (私の記憶違いかも知れない) が、(女性である) のんさかなクンを演じる事も、幼少期から一貫しているとは言えない意図的な無性表現も、物語の中に埋め込まれたキャラクターとしてのさかなクンに、不器用だが優しくて純朴な、中性的イメージを強調したかったからだろうか。

2. 演出としての理想の世界

大学[4]東京海洋大学准教授の役職に就き、(多分) 好きな研究を続けているさかなクンを思って「好きな事をやり続ける/貫く事の重要さ」に帰結するのは、結果主義的な見方として平易なものだ。

幾つかのレヴューを見ると確かにそのように感じた人が多いようにも見えるのだが、「好きな事」を貫いた時の世界の反応という軸で見るとそれは余りに “直線的” な見方であって、実際の所は理想と現実を (演出としても多少映画用に調整して) 行き来するようなものになっていたと思う。

つまりイメージとしては次のような曲線形状と言っても良い:

現実的な描写として、小学校の男子生徒に「魚への傾倒」を冷やかされたり疎まれるシーンから始まる。
高校で「おさかな新聞」にバイクの記事を書いた事で不良に絡まれ、社会に出てからも「魚に触れ合い過ぎて」仕事がうまくいかない。
再会した子連れの旧友に頼られた時も、その純朴さ故に「信頼の壁」を乗り越えられない葛藤を経験し、知人に「おさかな博士」になる夢を嘲笑われる。

これらの描写は、個々人の感覚に依ってモヤモヤする箇所も度合も違うと思うが、少なくとも現実の世界で起こってもおかしくないという意味で凡そ受け入れられるものだろう。

他方、これは理想的な描写だが、幼少期から一貫して優しく純朴なみーぼうを周囲の人間は誰も見限らないのである。
それどころか純朴さ由来の情熱とひたむきに不良達は改心し、カミソリに至っては寿司屋の道に目覚める。
無気力だった旧友の娘は、みーぼうを以てして毎週のように水族館に通い詰めるようになる。
物語終盤にはみーぼう自身 (これは恐らくさかなクンの実話だと思われるが) イラストレーターとしての仕事を得て、最後はTV出演に至る。

特に最初の二つの印象が強烈で、物語全般を通して「優しさと純朴さ」の全能感を表現しているようであるが、まさしく不良達が「あいつ、何かの主人公みたいだよな」という何気ないセリフに込められたものは、恐らく観客の代弁であってこれも意図的である。

ともあれ「優しさと純朴さ」の全能感は「理想」の (少々) 過剰な演出で、個人的に不良達との一連のやりとりがチープに見える理由になっている。とは言え、これもまたコメディと割り切れば面白いっちゃ面白い。

3. 理想と現実

前段では「理想」の演出に対して少々批判的な見方をしたが、それはあくまで演出に対する批判であって、理想を持つ事を否定するものではない。好きなことに打ち込んで成功する事は一つの理想の形で、さかなクンのようになる必要はないけれども、さかなクンのように周囲が見えなくなるくらい真摯に打ち込んで大成したい、くらいの事を夢想する人は多いのではないか。

みーぼうの両親はその点で重要な役割を果たしており、母親と父親の対比が興味深い。世の中は元来混沌として不条理である、というところまでは恐らく両親共に認めているが、その後の結論が二者で異なるのである。

それにしても、純朴で優しいだけで好きな事をやり続けるにはこの世は厳しい。

歯科医の待合室の水槽をプランニングした時、物語で唯一みーぼうの「海洋生物学者」としての冷静で合理的な物の見方が描写されてるが (個人的に一番好きなシーンの一つ)、このエピソードが無かったらみーぼうがいずれお魚博士 — それを何と呼ぼうと — になる人物として (お話の中で) 説得力に欠けていたかも知れない。

Footnotes

Footnotes
1 「さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~」
2 のん演じるさかなクン (の幼少期) という設定で、この時映画内では小学生の少女.
3 さかなクン演じるさかなクン.
4 東京海洋大学