この言明を聞いたことがありますか?
対偶を取ると、「難しい事を簡潔に説明できなければ、頭が良くない」。
これは果たして真でしょうか。
これを真だとすると、数学を含む科学の最先端の論文を簡潔に説明できない専門家たちは頭が良くないことになります(専門家の中の一握りの人間はもしかすると “説明” できるかも知れませんが、それだけ複雑な問題を簡潔に「説明」したと果たして誰が判定できるのかという問題が残ります)。
私が思うに、万物は頭が良いから簡潔に説明できるという単純な構造をしていません。
最初は難しいと思っていたことも、深く、長く考えると難しさの本質を捉えることができて来て、少し簡単な何かに置き換える例が思いつくかも知れない。
その例の中の一つが、聞き手の50%の理解を得るものだったとする。それでも良く分からないと言われるので、もう少し頑張って考えてみる。
するとこれはあの現象に似ている、この状況の特別な場合と見做せる、と更にもう少し簡単な例で置き換えられるかも知れない。
そうなってようやく聞き手の80%の理解が得られるものだったとする。そして分かりやすいと言われる。
つまり難しいことは、やはり難しいのです。
内容の複雑さを複雑と認識する、仮に認識までは難しくとも、想像する、それが思考する人のスタートポイントです。
思考する人でありたいものです。