毎年のように、もうすぐそこという所になって年末であることに気づく。そう、もう2023年は終わりなのだ。
走っていれば考えない事も、歩いていればよく気づくようになる。
私がよく耳にする話は、今は走る時だから、今こそ走らねばならぬと言っている人が、ついに歩き始めたと思ったら、病気になったか老いたというのである。
同じような話で、忙しい事を良い事と言う人がいるけれど、自分はそうは思えない。
忙しいと口に出したり思ったりするというのは、自己を占有 (occupy) していない何か — それが何であろうと — に配分する時間が枯渇しているのであって、それを受け入れるというのは、世界[1]自我を超えたもの。に抗う力を放棄することである。この事は、少なくとも自分にとっては絶望的である。
そういえば、キルケゴールが著書の中で[2]死にいたる病。、通常の病と絶望との違いについて、病人が病気を招き寄せつつあるということが無くとも、絶望する者は絶望を自ら招き寄せつつあると書いていた。
忙しい人は、忙しいことに気づかなくなる前に、立ち止まらなくてはいけない。
そんな当たり前と思われるような事を書くのも、年の暮れだからだろうか、野暮だと思わない。
今の状態は、正に新しい事業を前進させるのに忙しい。
しかしそれを良しとはしていない。
この忙しさを早く手懐けて、再来週はまた歩き出せるだろうか。