5/9 いわゆる日記: クラヴィーアン

今日はプロコフィエフの小品を解析するついでに、コルトーのメトードを読んでました。

「弾く」より「読む」という内容でした。自由な演奏を支える肉体的、生理的な動作要求や力のかけ方は参考になります。
しかし個人的に、練習の内容そのものがつまらなすぎて(簡単という意味ではないです)、これを(既定の)半年間やり続けられるとは、とうてい、思えない!!
ブラームスの51の練習曲の方が好きです。

コルトー氏自身が(訳にて)言っているように、練習の本当の意味はその内容ではなく、練習法にあるので、もちろん楽しくできる方を選ばせてもらおう。

暗譜について最も重要視しているのは、頭の中で楽譜が忠実に再現されるか、或る小節を切り出して全ての音を言い当てることができるか、また各声部を別々に歌えるかということ、よく言われるようなことですが、これができるとかなり安心できます。
聴覚と運動記憶が記憶上の音の誤りを正すことはしません(絶対音感保持者を除く)が、演奏の場面では聴覚がものを言うと思ってます。

「5/9 いわゆる日記: クラヴィーアン」への3件のフィードバック

  1. こんにちわ。初心者コメですが‥、コルトーと言えばショパンの解説を連想するのですが(自分には遠い世界です)、プロコの解説もあるのですか?。コルトーは自身不器用な人だったらしく、それを克服するために研究にも念には念を入れて、と聞いています。
    暗譜‥そこまでやると、ミスは激減するでしょうね、たぶん(←というのは、それもまだ自分にはほど遠い‥(汗)。
    ま、ともかく、楽しく頑張ります(今、それだけ)。

    P.S.ボクのところも日記は外部ブログにしましたが、yolcoyamaさんのを見本にしました。

  2. P.S.↑再読したら、コルトーのプロコフィエフの解説ではないんですね(汗←仕事疲れか)。失礼しました。

  3. なおじさん

    毎度のことながら、コメント有り難うございます。
    仕事でお疲れさんですね(笑)

    アルフレッド・コルトーは、自身がショパンの孫弟子で、かつ指揮者であり、ピアニストだったそうです。何より名高いコルトー版は有名ですね。ロマン派の曲を86冊校訂しているようです。

    最初僕がコルトーに惹かれたのは、テクニックを安定させたいっていう欲求があったからです。ショパン協奏曲のあるパッセージがどうにも安定しなくて、つまり弾けるときと弾けないときがあるので、その原因をどうしても突き止めたくて、いきあたりました!

    記事では少し不評を書いたものの、この練習曲の意図する所を詳しく調べていくごとに、その重要さが伝わってきます。

    ミスが減るのもそうですが、感情ができる限りのせられる状態にするために重要かと思ってます。(音質、音程、両方の意味での)ミスは、或る程度の訓練を積んだ上で、楽譜を見ていればほとんどなくすことができると思いますが、つまり、じゃあそれで心を打つ演奏ができるの?って話です。

    ともあれ、楽しくやりましょう!
    それが継続の源ですから。

    追伸
    ブログ、読ませてもらってます。

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