無限という概念は、有限の逆として定義されることがあります。数えきれないもの、といった感じで。
しかし命題の上で「 全てのもの~」と言えば、有限的な性質を排除したもの、すなわち無限集合というのですが、じゃあ有限的性質とは一体何でしょう?
この有限と無限との境界線は悩ましいのです。
任意のに対し, 十分大なるをとってなるとき, ならしめるならばをの極限という(高木, 1983)。
これは論法による一般的な極限の定義ですが、問題にすべきはこの極限を、任意のに対してを適当に増大させるという意味においてと書き表すことができるので, 標語的にそのまま解釈するなら, は有限? というわけです。
これは今となっては濃度という概念によって「無限から有限を抜き取っても無限」という風な定式化が行われているために、あるいはアルキメデスの弁を借りるなら、任意の整数に対し, 適当な自然数をとってならしめることができる, すなわち今では「無限集合は有限集合を含む」などと言われる論からこの議論はすでに結論を得てしまっている(つまり)のですが, 有限と無限との間に境界線を設けることがそれを認識する上で重要であることは間違いないでしょう。
ではその境界線を個々の数の表現(ここでは足したり引いたり、掛けたりといった代数的操作)で表せない以上、別のアプローチが必要になります。
ここまでは実は位相の導入でした。 これはすべて教科書的に知られていることで, 実際覚えているだけで僕の弁ではないのです。
さてここからが本題で, 無限とか有限とか, その概念自体が実に主観的だと感じませんか?
つまり無限はある視点からすれば無限でなくなる。人間が永遠と言えばときに死ぬまでのことを表すように、無限という概念そのものが有限的、(収束性や有界性のような)ある条件下でのみ成立する性質だと考えられます。
書いていてふと気付いたんですが、僕が書いているのは数学ではなく、数学文化のようです。数学は書いても興味無い人にはちっとも面白くありません。
視点を変えて、しばしば引用される「」を考えると、「有限的な概念」の意味が一層明らかになります。
「」は真理でしょうか。
少なくとも1と2を元として与えられた自然数と同等の(加)群構造を有する代数系(集合)においては。
この中ではですが、結局のところ1で何を見るかによってその演算の意味も変わってくるのでした。
なにやら中途半端になりますが、結論を書くのに少し時間が足りないので折を見てパート2に続けます。
ねぇねぇ、この日記わたしにゃ、意味わけかわめよ〜 笑
日記じゃないからね笑